大内氏の栄華が偲ばれる西ノ京・山口市、維新の志士・高杉晋作を生み出した下関、維新胎動の地といっても過言ではない松下村塾や当時の往来を髣髴させる武家屋敷街が残る萩など、とにかく歴史好きにはたまらないエリアが点在する山口県。日本海側の絶景ドライブルート191号線沿いには、川棚・長門湯本温泉などの温泉も湧く。

萩は吉田松陰をはじめ、松下村塾の門下生である高杉晋作や伊藤博文など、数多くの勤王の志士や、明治維新で新政府樹立に関わる多くの人物を輩出することになる。そんな歴史を背景に、現在の萩の町は、「江戸時代の古地図がそのまま使える」といわれるほど、城下町の風情を色濃く残している。萩にきたからには、是非手にしたいのが萩焼。“萩の七化け”と言われるように、使い込むほど味わいが増す。そして、萩の新たなる魅力として注目を浴びているのが温泉である。「萩本陣温泉」「萩指月温泉」など、個別温泉であった萩市内の温泉が、2004年に掘削された「はぎ温泉」の開湯により、「萩温泉郷」と総称されるようになった。「はぎ温泉」を引湯することにより、温泉を楽しめる旅館が増えたのである。菊が浜沿いに並ぶ旅館は夏は海水浴にも便利。萩の城下町散策には旅館で借りることの出来るレンタサイクルも大活躍だ。また、日本海の新鮮な海の幸がどの旅館でも堪能でき、近年萩のブランド牛「見蘭牛」も有名になり料理重視の旅行客は満足すること間違いなし!歴史ある城下町を散策した後の温泉は、萩の新たなる魅力となっていくだろう。

長門 湯本温泉は今からおよそ600年前。室町時代、大寧寺の「定庵禅師」が座禅のなか、住吉大明神からのおつげによって発見された、山口県ではもっとも古い歴史をもつ温泉と知られております。大寧寺の第3世住職、定庵禅師の時代。ある月の明るい夜、定庵禅師が寺のまわりを散歩していると、石の上で座禅をしている老人に出会った。和尚が名前をきくと老人は歌でこたえた。「松風の声のうちなる隠れ家はむかしも今も住吉の神」老人は長門一宮(下関)の住吉大明神であった。老人はその後、名僧、定庵の説法の席に通い、仏道を修めた。 応永34年3月23日、定庵禅師から法衣を贈られた老人は法恩に報いるため、「山の奥に温泉を出しておきましたのでご利用ください。」と告げた。たちまち雷鳴が轟き、老人は大きな竜の姿になって雲の上に消えていったという…これを裏付けるように、湯本中心部の泉源は現在でも大寧寺の所有です。浴場は二つに分かれ、昔は上の礼湯(れいとう)を武士や僧侶、下の恩湯(おんとう)を一般の人が使っていました。江戸時代には温泉の近くに、お茶屋「清音亭」(せいおんてい)が置かれ、藩主もたびたび入浴に訪れました。

湯田温泉の起こりは、三十世大内義興(よしおき)公の時代にまでさかのぼります。そのころ、村のお寺にあった小さな池に、ケガをした一匹の白狐が毎晩傷ついた足をつけにやって来ていました。その様子を眺めていた和尚さんが、夜明け近くになってようやく去って行く白狐の住みかをのぞいてみたところ、そこは、お寺の北東にある峰の中腹で、かつて二十四世大内弘世(ひろよ)公が紀伊の熊野三所権現を迎えてお祀りした権現山だったのです。不思議に思った和尚さんが、白狐をつけていた池の水をすくってみると、なんとほんのり温かい。そこで、さらに深く掘ってみたところ、なんと大量の湯がこんこんと湧き出てきたのです。また、土の中からは同時に薬師如来の金像が現れたのです。喜んだ和尚さんは池を屋根で覆い、傍らに仏堂を建てて薬師如来を安置し、湯田温泉を鎮護する仏としたのです。それ以来、山口の民衆が多く集まり、薬師如来を礼拝しては入浴するようになりました。